- 2015年06月17日
- 結婚式 花嫁の手紙
山形県 A.Kさん 42歳 2015年1月挙式
お父さん、お母さん、マニュアル通りで行きますと、今まで育てていただいて大変感謝しております。
やっと、やっとこの日を迎えることができ、さぞかしほっとしていることと思います。
そして、こんなわがまま娘をもらって頂く○○さんの勇気に、大変感謝していると思います。
長かった独身生活も、今思うと○○さんに会うための修行だったと今なら思えます。
私が覚えている限りの小さい頃のお話をします。
まず、2番目に産まれる子は女の子がいいと、父が楽しみにしていたと聞きました。
ただ今のように男女を調べることが出来なった時代なので、心音で私は男の子だと産婦人科の先生に言われ、私が生まれたときの父の喜びようは無かったと聞いております。
心音のおかげか、大きな病気も無く、健康に育つことが出来ました。
病弱な兄には申し訳ないのですが、よく熱を出し学校を休む兄がうらやましく、点滴を打ちに行きたいとわがままを行って、隣で寝て点滴を打ってもらった記憶があります。
くだらないことかも知れませんが、本当に嬉しくてニヤニヤして具合が悪いフリをしているのが嬉しかったです。
ただ、なにせ健康体なので、すぐ飽きてしまい待合室で絵本を読んでいたような記憶があります。
自営業で時間も不規則なため、休みなどもとれず、家族旅行などは1度もしたことがありませんでしたね。
母もお店を出したので、みんなが揃って休むことなどは出来なかったですね。
ただ、旅行に連れて行けないのがかわいそうだったのか、お父さんはよく車で少し離れたところの銭湯?温泉?に連れて行ってくれましたね。
遠い記憶なので、場所が思い出せないのですが、お風呂に行きたいというよりは私はドライブが好きだったように思います。
冬の寒い雪が降る日には車で山の方へ行き、キツネにパンの耳をあげに行きましたね。
今は温暖化が進んで、野キツネを見ることはなくなりました。
今思うと、キツネを見ていたことも夢の中のように感じます。
母の記憶は気づいたときには、お店をやっていたので、働くかっこいいかあちゃんの記憶しかありません。
主婦ではないので、学校の行事は忘れる、授業参観日は来れない、こういうことを書くとひどい母親に感じるかもしれませんが、自分が大人になり働いてみると、無理なことに気づきます。
ましてや自分のお店です。いつも空けてる時間に、閉めるわけには行きません。
小さいころは、とても寂しかったけど、寂しいとなかなかいえなかったと思います。
自分が結婚し、子供の頃の母の年齢に近づくと、母には本当に感謝と尊敬しかありません。
同じ状況で、私は母が出来るだろうかと感じます。
料理が上手で、私の友達が教えてほしいとよく料理を聞きにきていましたね。
私は、料理が苦手だったので包丁も握らず、食べる専門でした。
今思うと、ちゃんと母の料理を習っておけばよかったです。
何が言いたいのかまとまらない文章でごめんなさい。
とにかく来世も再来世もあなたたちの子供でいさせて下さい。
生んでくれてありがとうございました。いつまでも愛しています。