- 2018年12月23日
- 近畿地方の結婚式事情
もう結婚して20年以上たちます。
という事で私達の頃のしきたりが今でも残っているのかどうかはよく分かりません。
しかし、検索してみてもどうもそれらしいものは出てきませんでした。
ということでもう、すたれてしまったのかもしれませんが・・・。
結婚するときに妻は「万年青」と「塩の入ったツボ」を持っていく
私達が結婚するときには他の地域と同じように新しい家にはまず「万年青」と「塩の入ったツボ」を持っていくものだと教えられました。
このしきたりは、まだ検索したらたくさん出てきたので、全国的なものなのだと思います。
妻の家が食器棚を持っていく
私達(神戸市在住)のものにとっては「結婚道具は結納金で買うものだが、『みずや』だけは妻となる家がお金を出して買うものだ」と妻の家族から言われ、妻の父の運転する車で家具屋を回ったことがあります。
『みずや』と言っても今の人たちには何のことかよく分からないと思います。
結局は簡単に言えば「食器棚」のことなのです。
ただ、私達昭和生まれの人間にとっては、『みずや』と「食器棚」というものは少し違っていました。
食器棚と言えばどうしても、「扉を前に開いてたくさんの食器が並んでいるのが一目ですべて見えるという」感覚があります。
『みずや』と言われるといつも思い出すのは、すりガラスに模様の付いた横開きの戸がついているという事、あけても半分しか見えず、食器が今よりも取りづらかったということ」や「下に小さなもう一つのすりガラスの横開きの扉があって、そこには小さなお皿やマグカップが入っていた事」などです。
受験の頃夜遅くまで勉強していた時、寒くて何か温かい物がほしくなった時は、いつもその小さな扉を開けて「水森亜土」の描いたイラストの付いたマグカップに温かい物を入れて部屋に持ってあがったという記憶が今でもあります。
「台所」という所は「妻の仕切る場所」
なぜこれだけは「妻の家が買う」のかについてはよくは分りません。
しかし、どうもやはり「台所」という所は「妻の仕切る場所」であり、「夫の出入りする場所」「夫がごちゃごちゃ触るところ」ではないという昔からの感覚がまだどこかに残っていたではないかと思っています。
今や男も料理を作る時代、きっとそんな習慣もなくなり、二人そろって食器棚を見に行き、「二人か使いやすい物」「二人のお気に入りのもの」を探して買っているのが今の「当たり前の風景」なのだと思います。
それはそれで「妻の負担」も減り、二人して気に入った家具で生活ができるというのはいいことだと思います。
ただ、「そんな習慣も昔はあったのだ」という事だけは、いつまでもどこかで残っていてほしい物だと少しさびしく思います。
まったく消えてしまう、忘れられてしまうという事は、「正しいか間違っているかはわからないけれどもとにかく一つの文化が消えてしまう」という事だと思えてならないのです。